私の不妊治療記録 2年目(AIH治療)~科学的流産

タイミング治療で1年間やってみたけれど効果なし。効果あるどころか、内膜はペラペラになるばかりで毎月全くの運まかせ。
このままでいいのか?

私の不妊治療記2そもそも治療を続けるべきなの?迷えば切りがない。
迷いに迷ったあげく、とりあえず話だけでも聞いてみようと思い、大都市の不妊治療専門クリニックへ転院しました。

初めて診察を受けた日、そこの院長が教えてくれました。
なんと、AIH(人工授精)を6回すると8割が妊娠する、のだそうです。残り2割の人は、それ以外のところで原因があると考えて体外受精にステップアップするべきとのこと。

主人とも相談した結果、では6回だけAIH(人工授精)にチャレンジしてみて、それでダメなら諦めようということになりました。

以下は、その不妊治療専門クリニックでのAIH(人工授精)治療の記録です。

2007/1月AIH1回目 タイミングで1年治療して効果ないので、思い切って不妊治療で有名な専門病院に転院することに。AIH(人工授精)での治療を開始。
5日目 [投薬]クロミッド2錠/1日×5日間
11日目 左の卵巣に1個・右の卵巣に1個・内膜ごく薄→HMG150
14日目 左の卵巣に1個(特大)・右の卵巣に1個(普通)→HCG5000  明日AIH実行を指示
15日目 AIH当日左の卵巣に1個(特大)・右の卵巣に1個(普通)→HCG5000
17日目 HCG5000
2007/2月AIH2回目 5日目 クロミッド1錠/1日
9日目 HMG150
12日目 HMG150
14日目 右の卵巣に1個(小さめ)・内膜薄め→HMG1502日後にAIH実行指示
16日目 AIH当日右の卵巣に1個(普通)内膜薄め→HCG5000
19日目 HCG5000
21日目 HCG5000
2007/3月AIH3回目 5日目 セキソビット6錠/1日
11日目 左の卵巣に1個(小さめ)・右の卵巣に1個(小さめ)→HMG150
14日目 左の卵巣に1個(普通)・右の卵巣に1個(小さめ)→HMG150
17日目 左の卵巣に1個(大きめ)・右の卵巣に1個(普通)→HCG5000 明日のAIHを指示
18日目 AIH当日左の卵巣に1個(大きめ)・右の卵巣に1個(普通)内膜薄め→HCG5000
24日目 HCG5000
29日目 HCG5000
2007/4月お休み 体調不良と精神的安静のため治療お休みこのころから、不妊治療を続けるべきかどうか再び悩む。
2007/5月AIH4回目 5日目 クロミッド1錠/1日
10日目 HMG150
12日目 HMG1502日後にAIH実行を指示
14日目 AIH当日左の卵巣に個(特大)・右の卵巣に1個(小さめ)内膜薄め→HCG5000
16日目 HCG5000
18日目 HCG5000
2007/6月AIH5回目 5日目 内膜薄すぎのため、クロミッドを減らすことにクロミッド1錠/1日を1日おきに3回
9日目 HMG150
11日目 左の卵巣に1個(小さめ)・右の卵巣に1個(小さめ)→HMG150
13日目 左の卵巣に1個(普通)・右の卵巣に1個(普通)内膜薄め→HCG5000 明日のAIH実行を指示
14日目 AIH当日左の卵巣に1個(大きめ)・右の卵巣に1個(大きめ)内膜薄め
15日目 HCG5000
17日目 HCG5000
34日目 妊娠検査薬で薄く陽性が出るものの、超音波検査で胎嚢は見えず。超初期の流産の可能性が大きいと言われる。
38日目 生理が来て、流産確定。。。

人工授精を始めて半年・5回目で、科学的流産。

科学的流産とはいえ、今までになかった大きな一歩。
6回目までに8割が妊娠するというデータはまんざら嘘ではなかったことになります。

 >>単角子宮についてまとめました。こちらも参照してください。単角子宮ドットコム


単角子宮の不妊治療 科学的流産~本当の妊娠まで

科学的流産が7月。
この結果を受けて、先生からそろそろ体外受精にしたらどうかと勧められました。
確かに、6回のうちに8割の人が妊娠するという人工授精AIHで5回やってダメなのですから、そろそろステップアップを検討するタイミングなのかもしれません。

人工授精に踏み切るのには大変長い時間がかかった私でしたが、体外受精へのステップアップに関しては、はっきりと「体外受精はしない」と決めていました。

今思えば、科学的流産を受けて、私の中で何かが壊れたのかもしれません。
心のどこかで妊娠を諦めかけていて、違う人生を選択したいと思っていたのかもしれません。

でも、不妊治療自体をスッパリ止める勇気もありませんでした。消極的治療、というやつです。
諦めがつくまで、人工授精を続けて、心の生理がついたら諦めようと。
自分の決心がつくまで、もう少し人工授精に通ってみよう。って感じでした。

科学的流産を境に、私の生活に変化が表れました。
社会復帰を目指して資格を得ようと専門学校に通いだし、体力づくりのためにスポーツジムにも通いました。
あれもこれもと時間を費やすうちに、不妊治療一辺倒の生活ではなくなり、治療への精神的ストレスが軽くなっていたような気がします。

切迫流産・切迫早産体験記そんなある日、また妊娠反応が出たのです。
今度は、前回とは違い、妊娠検査薬にハッキリくっきりと妊娠反応が現れました。
2007年12月のことです。前回の科学的流産から5カ月後でした。
正直言うと、妊娠反応が出た時、「うれしい!!!」というよりも、「なんで???」という感じでした。
その周期は、最悪のコンディションが重なって、「今回は人工授精AIHするの辞めようか。。」とまで考えていたほど、状態が悪かったのです。

まず、私の卵子が育たなかった。
今までで最高本数の注射を打って粘って粘って、やっとのことで1つだけ卵子を育てました。でもその卵子は、ズバリ右(私の卵管がある方)にあったのです。
そして次に、子宮内膜も激薄でした。7ミリでギリギリOKのところ、8ミリでクリアでした。
そして一番最悪だったのが、主人の精子。
その頃主人は大きな仕事を抱えていて徹夜徹夜の連続でした。それでも何とか人工授精の日が決定するとその日の朝だけは時間を作ってくれて、治療に協力してくれたのです。
でも、クリニックに精子を持っていってみると、その運動率は半分以下。男性はその時々の体調で精子の状態が大きく変わってしまうのですね。先生に「人工授精できる運動率じゃないんだけどね。」と言われながらの処置でした。

だから本当にその周期は諦めていたのです。くっきりと反応が出た妊娠検査薬を手に持ちながら「なんで?なんで?」とブツブツ言っている私。
今までに、もっといい条件が整っていた周期がいくらでもあったのに。
なんで今回妊娠したのだろう???

疑問は尽きませんでしたが、その後無事に心拍が確認され、出産に至りました。

出産までには、出血・子宮収縮・頸管炎などさまざまな理由で切迫流産・切迫早産となり、3度の入退院を繰り返し、それはそれは大変なマタニティライフでしたが、のど元過ぎれば熱さ忘れる、で産まれてしまえばそれでTHE END。

かわいいかわいいイチゴが私の元に来てくれたことに、心から感謝です。

>>私の第2子不妊治療記である「単角子宮の不妊治療記」はこちらで公開しています。
>>私の「第2子切迫流産・切迫早産体験記」はこちらで公開しています。

>>単角子宮についてまとめました。こちらも参照してください。単角子宮ドットコム